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住所から村の名前がなくなる…清内路地区阿智村10周年式典

Oct 30, 2019

長野県下伊那郡阿智村で行われた

清内路地区、阿智村合併10周年記念式典で、

イラスト書道パフォーマンスを

させていただきました。

 

「9割の村民が合併に賛成しました。

でも、全ての村民が合併に

賛成したわけはありませんでした」

 

式典の最初の方に、そんな言葉がありました。

 

旧清内路村は、平成21年に

阿智村に合併しました。

 

合併したことで、清内路村はなくなり、その翌年

真新しかった清内路中学校も閉校となりました。

新しい校舎が建設されて、たった10年ほどのことでした。

 

「住所から清内路という名前がなくなってしまう

そんな寂しさを感じた」

 

そうおっしゃった方もいます。

 

阿智村は、「日本一星空がきれいな村」として

全国的に知名度が高くなっている地域です。

 

そんな地域と合併できてよかったのでは?

とも、思えますが、

あぁ、複雑な思いがあって合併したんだということを知りました。

 

私は、阿智村の隣の

旧三穂村というところの出身です。

 

私が生まれる前に飯田市に合併しました。

しかし、村の結束は高く、運動会、文化祭、

その他のたくさんの行事があり

さらに三穂保育園、三穂小学校と

村単位の学校にずっと行っていたので、

三穂が出身地だと思っていました。

 

しかし、住所には三穂という言葉がありません。

子供ながら、不思議だなぁと思っていました。

 

だから、住所から清内路という言葉がなくなってしまう

清内路の皆さんの気持ちを察すると

胸が詰まる思いでした。

 

それでも、財政難を抱えていた旧清内路村は

阿智村との合併の道を選びました。

 

村の財政難を知り、

合併の話が持ち上がり、

村ではなくなり、中学校がなくなり、

激動の時を過ごされたのだと思います。

村として自信をなくした時という言葉もありました。

 

きっと、地元の皆さんは

地域の活力がなくなってしまうのでは

このまま人口が減っていくのでは?

と、不安だったと思います。

 

清内路は、山に囲まれた地域で、

伝統野菜、花火など

独自の文化を持たれています。

 

さらに、8割の村民の方の名字が

「桜井」か「原」です。

村の中のつながりが強いことを感じます

近いと行っても、阿智村とは違う。

そんな思いがあったことでしょう。

 

閉校となってしまった

旧清内路中学校へは、デーサービスが入り

さらにこの度、清内路振興室も

その中に移ることになりました。

 

今回、合併10周年を迎え

「旧清内路中学校」から

新しい名前と生まれ変わることになりました。

 

地元の方々から募集され、

選ばれた名前

「清中プラザ」

 

この文字をパフォーマンスで

書いて欲しいとご依頼でした。

 
 
 
 

今回も、同級生の二胡奏者

岡島壮史くんの演奏とともにです。

 
 
 

パフォーマンスでは、清内路の名所

きれいな湧き水が出て、毎日水を汲みに来る人が

後を絶たない「一番清水」

清内路発祥の「花桃」

そして、有名な「伝統花火」を絵で描きました

 
 

そして、真ん中の女の子が持っている

双葉がニョキニョキと育って

名所の一つ「清内路のおおまき」

という大きなミズナラの木を描きました。

 

書いた文字は、

「今、ここに生きる」

「私のこの両手で何ができるの」

「新しい未来へ 清中プラザ」

 
 
 
 

最後には、星空のきれいな清内路を

ブラックライトで光らせました。

 
 
 
 

名前って、なんだろうと思うのです。

それは、すごく大切なものです。

 

でも、実態さえあれば、それがなくなっても

存在するのではないかと思います。

 

父が亡くなった時、棚田の田んぼを見て

この田んぼの全てに稲が実るのは

今年が最後だろうと思いました。

当たり前の風景は、守っている人がいてこそなのだと

その時に知りました。

 

清内路の美しい風景は、そこで

今、ここで生きている方が

一生懸命生きて守っていらっしゃるからあるものです。

僭越ながら、それは、胸を張って誇りに思っても

いいことなのではと思います。

 

そして三穂村は、私が生まれた時から合併していたけど

それでも、私の出身地は「三穂」だと思っています。

 

それは、名前ではなく、

文化祭があり、運動会があり、組合があり、消防団があり

そんな地域のつながりをずっと感じていたからです。

 

目に見えるものよりも、

目に見えないそんなつながりの方が

ずっと大事だと思いました。

 

だから、こんなに地域の方のつながりが

強い清内路の未来は明るいと

私は思います。

 

書き終わったあとに、そんなことをお伝えしました。

 

阿智村の熊谷村長が

「清内路のみなさんが、

今、一番行って欲しい言葉を

言ってくれてありがとう」

 

と、おっしゃってくださいました。

熊谷村長が清内路の方に、私を紹介してくださったから、

今回のパフォーマンスが決まりました。

感謝申し上げます。

 

パフォーマンスの後にも

泣きそうでしたと、たくさんの方が

御礼をおっしゃってくださいました。

 

御礼をいうのはこちらなのに

とても嬉かったです。

 

懇親会では、たくさんの伝統料理が振る舞われ、

箱寿司、ご飯を潰して甘い味付けをしたもの、

鹿のソーセージ、伝統野菜を使った焼酎

山一つ越えると、こんなに文化が違うのか

と、大変驚きました。

 

楽しそうに、地元のトークをするみなさんを見ていて

そこに、確かに「清内路」を私は感じました。

 
 
 

イラスト書道家 和全